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大伯母の想い出(お茶の淹れ方)
2017.05/25 (Thu)
昨日の話の最後に書いた「価値観」で思い出すことがある。今度は伯母でなくて大伯母の話。
大伯母には幼い頃から世話になっていた。
私が20代で結婚したばかりの頃、沖縄へ帰省した際に挨拶に寄った時のことだ。
久しぶりだと歓迎されて、大伯母がお茶を淹れてくれるというので、
それなら私が淹れましょうということで用意された急須と茶葉で
大伯母と私の分を淹れて茶碗に注ぎ分けた。
お茶の淹れ方は姑に倣って(というか指導された)、
少しずつ均等に最後の1滴までしぼりきるように茶碗に入れた。
そしたらだ!
大伯母が、
「あっしぇ(まったく)さとちんよ。
なんでこんなちょっとぐゎ〜しか(少ししか)いれないの?」
あ、お茶はこうした方が美味しくてね・・・
「お客さんにこんなして出したら、お代わりがないみたいであるさ〜」
あ、それは二煎目はまたお湯を注いで・・・
「まるでお客さんに早く帰りなさいって言っているみたいさ〜」
あ、でも二煎目も美味しく飲むためには・・・
「飲み終わる前に注いであげた方が嬉しいさ〜ね〜。ダメだよ〜、こんなしたら」
・・・わかりました。はい、すみません。
姑に教わった通りに淹れたはずが、大伯母のお気には召さなかった。
私はそこへ姑の話を持ち出すのはよした。ものの価値観以前に、習慣とか文化が違うのだ。
きっと、どんな茶の湯の大家が現れて伝授したところで
大伯母は自分のやり方を変えないだろうと思った。
人間っていうのは、人に言われて自分のやり方を変えることはなかなか無い。
変えるとしたら、それは自発的に気づいた時だ。この頃とくにそう思う。
周りに年配者(頑固者)が増えてきたからねぇ。
大伯母は10年ほど前に脳腫瘍でこの世を去った。