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さざなみのよる
2018.09/14 (Fri)
さざなみのよる (木皿泉 著 河出書房新社)
まずは、今朝の朝ドラ『半分、青い。』のことです。
鈴愛の母・晴はガンで、手術は成功したものの5年生存率は50%だと医者に言われ、
それを聞いた家族は落胆しますが、当の本人は落ち着いた晴れ晴れとした顔で、
毎日が幸せで仕方がないと言うのです。
そりゃあ、病気になるよりならない方がいいに決まっているけど、
病を患った今は現実に生きているということがどれだけ幸せなのかを
実感してしまうのだと。
「朝が来るだけで幸せに思える。どんな時もキラキラしていて幸せ病だ」
というセリフを聞いて、なんという境地だ!と思いながら泣けてしまいました。
その朝ドラを観た直後に、死がテーマのこの本を読み始めて、
また涙でぐじゅぐじゅになってしまったのですが、、、
物語は、晴さんと同じくガンになった小国ナスミという43歳の女性が
亡くなるところから始まります。
いずれ訪れる死をどう受け止めたらいいのかというテーマは、
ドラマでも小説でもよく描かれますが、この物語は死を扱ってはいるものの、
読んでいて気持ちが重たくなる内容ではありません。
それどころか読後は、な~んにも身構えたり怖がったりせず、その時を受け入れて
自然に逝きたいなぁ~という気分になりました。
死は人生で一回のことなので、自分には経験が無く、
果たしてそんな心境で迎えられるのか分かりませんが、
あぁ、晴さんやナスミのように病や死に対して清々しく向き合いたいものだと。
さて、本のお話の方は、ナスミの夫や姉、妹、
ひいては過去に幼少期のナスミを誘拐しようとした男性、
中学時代にナスミと家出を計画した同級生の男子、
その後ナスミの夫と再婚する女性などなど
14人の登場人物の視点で構成された物語になっています。
ナスミの存在と死があったからこそ今そこにそうしている彼らの物語のどれもが泣けた!
しかも、哀しいばっかりで泣くんじゃない。
死を考えることが出来るから今日も生きていく・・・っていうか、
そこに気づかされて温かい涙が溢れてくる、そんな話の数々。
私も少しばかり長く生きてきますと、人の縁の不思議や小さな奇跡を経験することがあって
そのおかげか、14篇のどれもが本当にそこにあってもおかしくない話に思えて
たいへん心揺すぶられたのです。
それは作者の筆力のなせる技?!木皿泉の久々の2冊目の小説、さすが!
本作は、NHKで2016、2017年に正月ドラマとして放送された『富士ファミリー』を
小説化したものだそうです。あぁ、両ドラマを観ていないのが残念。
でも、きっと小説の方が秀でているんじゃないかと思います(観ていないくせに)。
そのくらい良かった!
第13話目で、8歳の光の視点で書かれたくだりが私の思うところと似ていたので
書き抜いておきたいと思います。
それが何なのか、光にはわからないけれど、この小さな虫に何かがやどっていることに間違いないと思った。そして、それは、自分にもやどっているのだ。(中略)この蛾も、自分も、やどっていたものが去ってゆく。(中略)誰かが決めたわけではなく、図書館の本を借りて返すような、そんな感じじゃないだろうか。本は誰のものでもないはずなのに、読むと、その人だけのものになってしまう。いのちがやどる、とはそんな感じなのかなぁと、光は思った。
そうそう、私もそんな感じに思うわよ、光ちゃん。
是非、みなさんに読んでもらいたいです。おすすめです。
※木皿泉は、和泉務と妻鹿年季子による夫婦脚本家の筆名。
代表作は『やっぱり猫が好き』、『すいか』、『野ブタ。をプロデュース』など。
2013年には『昨夜のカレー、明日のパン』で小説家デビューを果たす。
